5、生と死を見た瞬間・・・
2001年7月2日 小学5年生になった私は、何かを変えたかったのは事実だった。でも、何すればいいのかなんて分からないし、ただ普通にしてるつもりだった。
だけど、とあるキッカケで私は代表委員になってしまう。(決まらなくって、じゃんけん負け)だけどイヤイヤ任されたけど、自分の出来ることは、しっかりしようと思った。だって、クラスの代表なワケだし、でも、それが返ってクラスの皆からは、生意気に見えたのかもしれない。
それに気付かず、与えられた仕事をこなし、一生懸命だった。そんなある時に・・・友達のSちゃんと学校終わった後に遊ぶ約束をしてたのに、迎えに行くって言ってくれたのに来なかった。家に電話したら、とっくに出掛けたって言うのに・・・。それで翌朝、Sちゃんに
「おはよう! 昨日どうしたの?」
って声を掛けたら・・・無視をされたのだ。聞こえなかっただけかもしれない。って思ってたのに・・・掃除の時間になって、その週は私達の班は南階段掃除だった。1階から屋上までの各階段を掃除するって言うものだった。同じ班のFさんが、
『私達、屋上からやってくから、あなたは1階から、やってて?』
「うん、いいけど・・・。」
だけど、3階まで上がって掃除してもFさん達の姿がなかった。どうしてだろう・・・?他の皆もいない・・・。そして掃除の時間が終了してしまった。
その放課後、Fさん達に・・・
「今日、どこまで掃除してた?私、3階までやったのに会わなかったから・・・心配になって。」
『屋上、汚くって時間かかっちゃったの。ごめんね〜。』
と、言っていた。まぁ、それなら仕方ないよねって思ったケド・・・次の日も、また次の日もそうだった。
その南階段は、よく職員が使う場所でもあった為、ある先生が私しか掃除してないのを見て担任のM先生に声を掛けたらしく・・・その週の木曜日、掃除中の私のトコへ、やって来た。
『○○さん、他のみんなは?』
「屋上で掃除してるはずですよ。」
『他のみんなって・・・7人で屋上の掃除?おかしいわよ。ちょっと来なさい。』
と、言われ腕を捕まれたまま、屋上へ先生と行くと・・・他のみんなは、屋上で遊んでいたのだった。呆然とした。
『皆さん、何やってるのですか? ○○さんは毎日、1階から3階まで一人で掃除してたのよ?』
先生は怒っていた。私はビックリしていた。だって、その中にSちゃんもいたから・・・。そこで何かが違うってことに気づいた。
同じ週の金曜日。先生は掃除個所を割り振った。私は1階から2階へ向けての掃除のみとなった。掃き掃除は違う人がやって、雑巾での拭き掃除は私がやってると・・・手摺の間の上からゴミを落とされて、私にかかったのだ。手摺の上を見上げると、Sちゃん、Mちゃん、Fさんが睨んでた。
疲れたなと・・・放課後、委員会の仕事を終えて下駄箱に来ると、私の靴がなかった。なんで?靴のあるべき場所に手紙で怪文書。
「お前なんか学校に来るんじゃね〜!死ね!」
それから私は恐怖のどん底へ落ちてゆく人生に陥る。学校へ行っても誰も話してくれない。話しかけようとしても、みんな逃げてく。追い討ちをかけるように「○○菌」呼ばわりされ・・・挙句の果てに色んなモノを盗られたり、ランドセルを傷つけられたりした。
そのまま6年生になっても変わらなかった。幼なじみのTくんは家の事情で大阪に行ってしまい、ホントに一人きりになってしまった。
メガネをかけてる私にドッジボールで顔面目掛けて投げたヤツ(顔面だとアウトじゃないからって理由で・・・何度も何度も)、クラスの女子全員、私の存在を忘れ、給食も、ペア作りも、全て私を忘れていた。わざと・・・。
思い出すだけで恐怖が蘇っていく。
「死にたい、このまま死んだほうがマシ」
と思うようになった。学校の外廊下のフェンス越しから下のアスファルトを見下ろし、落ちたいって気持ちや・・・図工の時間、小刀を使ってた時に、ふいに自分の頚動脈を見つめてしまう気持ちや・・・。何をするのにも死を見ていた。泣いても泣いても変わらないまま・・・ついに親話す。
「私・・・もう学校行きたくない」
家族6人で夕飯を食べていた時の事だった。母がデザートとして、リンゴの皮むきをしてたのだ。その果物ナイフの光に反応して涙が出てきたのだった。全て話した。何、されてるのか、誰にされてるのか。現に、その虐めが原因で今も消えない傷跡があるくらいだから・・・。父も母もおじいちゃんもお兄ちゃんも弟もビックリしていた。
その夜、おじいちゃんが・・・
『愛ちゃん、今日おじいちゃんトコ来なさい』
と、言ったのだ。何でだろうって思いながら、おじいちゃんの部屋に行くと、
『一人で眠るのは苦しいだろう? おじいちゃんトコでお眠り。』
「お・・・おじいちゃあん!!」
さっきも泣いたのに、また涙が溢れていた。苦しくって、耐えていた自分が・・・やっと家族だけでも分かってくれたって気持ちになって・・・。
そして、おじいちゃんが語った。おじいちゃんも私と同じ頃、学校で虐めに遭ったと言うのだ。しかも、辛い想い出や、色んな事を昔話のように私に聞き聞かせてくれた。
それから、母が先生に言いに行ってくれた。その日は私は学校を休まされたけど・・・。でも、先生は、学校全体での問題にされたくないらしく、言い訳をしていたそうだ。
でも、いくら何でも、いつまでもずっと登校拒否はいけないと思って・・・学校へ無理して行く日もあった。
『中学に行けば、他の友達が出来るから・・・我慢しなさい』
と、祖父の言葉を受け、頑張っていた矢先、その祖父が他界した・・・。卒業式まで、あと1ヶ月とちょっとって言うトコだったのに・・・。私は、全身の力が消えた気がした。おじいちゃんが支えてくれたから、頑張っていけたのに・・・ってお通夜も、告別式の時も涙が止まらなかった。火葬された祖父の姿を見て・・・信じたくない気持ちでイッパイだった。何よりも誰よりも大好きだった祖父の死が信じられなかった。。
祖父の死から4日後の2月6日。学校で1.5kmの持久走大会があった。私は最初出たくなかった。だって、まだ体が本調子じゃないのに、でも・・・祖父の為にも出ることを決意した。
ピストルの音が鳴り響き、6年生の女子が一同に走り始めた。私は、後ろの方にいた。走りながら色んな思いが蘇って行った。。今、私は何で生きてるんだろう・・・?そればかり・・・。何度も辛い部分も乗り越えて・・・一番じゃないけど・・・37人中33番でゴールをした。ゴールに着いた途端、涙が出てきた。急いで、水道場所へ行く。
顔を洗いながら・・・
「私・・・頑張れるんだ。生きてるんだ。おじいちゃんの為にも死んだりなんかしちゃ、いけないんだ」と、分かったのだ。
それから卒業式まで、虐めは変わらなかったけど、無事に卒業を果たした。
だけど、とあるキッカケで私は代表委員になってしまう。(決まらなくって、じゃんけん負け)だけどイヤイヤ任されたけど、自分の出来ることは、しっかりしようと思った。だって、クラスの代表なワケだし、でも、それが返ってクラスの皆からは、生意気に見えたのかもしれない。
それに気付かず、与えられた仕事をこなし、一生懸命だった。そんなある時に・・・友達のSちゃんと学校終わった後に遊ぶ約束をしてたのに、迎えに行くって言ってくれたのに来なかった。家に電話したら、とっくに出掛けたって言うのに・・・。それで翌朝、Sちゃんに
「おはよう! 昨日どうしたの?」
って声を掛けたら・・・無視をされたのだ。聞こえなかっただけかもしれない。って思ってたのに・・・掃除の時間になって、その週は私達の班は南階段掃除だった。1階から屋上までの各階段を掃除するって言うものだった。同じ班のFさんが、
『私達、屋上からやってくから、あなたは1階から、やってて?』
「うん、いいけど・・・。」
だけど、3階まで上がって掃除してもFさん達の姿がなかった。どうしてだろう・・・?他の皆もいない・・・。そして掃除の時間が終了してしまった。
その放課後、Fさん達に・・・
「今日、どこまで掃除してた?私、3階までやったのに会わなかったから・・・心配になって。」
『屋上、汚くって時間かかっちゃったの。ごめんね〜。』
と、言っていた。まぁ、それなら仕方ないよねって思ったケド・・・次の日も、また次の日もそうだった。
その南階段は、よく職員が使う場所でもあった為、ある先生が私しか掃除してないのを見て担任のM先生に声を掛けたらしく・・・その週の木曜日、掃除中の私のトコへ、やって来た。
『○○さん、他のみんなは?』
「屋上で掃除してるはずですよ。」
『他のみんなって・・・7人で屋上の掃除?おかしいわよ。ちょっと来なさい。』
と、言われ腕を捕まれたまま、屋上へ先生と行くと・・・他のみんなは、屋上で遊んでいたのだった。呆然とした。
『皆さん、何やってるのですか? ○○さんは毎日、1階から3階まで一人で掃除してたのよ?』
先生は怒っていた。私はビックリしていた。だって、その中にSちゃんもいたから・・・。そこで何かが違うってことに気づいた。
同じ週の金曜日。先生は掃除個所を割り振った。私は1階から2階へ向けての掃除のみとなった。掃き掃除は違う人がやって、雑巾での拭き掃除は私がやってると・・・手摺の間の上からゴミを落とされて、私にかかったのだ。手摺の上を見上げると、Sちゃん、Mちゃん、Fさんが睨んでた。
疲れたなと・・・放課後、委員会の仕事を終えて下駄箱に来ると、私の靴がなかった。なんで?靴のあるべき場所に手紙で怪文書。
「お前なんか学校に来るんじゃね〜!死ね!」
それから私は恐怖のどん底へ落ちてゆく人生に陥る。学校へ行っても誰も話してくれない。話しかけようとしても、みんな逃げてく。追い討ちをかけるように「○○菌」呼ばわりされ・・・挙句の果てに色んなモノを盗られたり、ランドセルを傷つけられたりした。
そのまま6年生になっても変わらなかった。幼なじみのTくんは家の事情で大阪に行ってしまい、ホントに一人きりになってしまった。
メガネをかけてる私にドッジボールで顔面目掛けて投げたヤツ(顔面だとアウトじゃないからって理由で・・・何度も何度も)、クラスの女子全員、私の存在を忘れ、給食も、ペア作りも、全て私を忘れていた。わざと・・・。
思い出すだけで恐怖が蘇っていく。
「死にたい、このまま死んだほうがマシ」
と思うようになった。学校の外廊下のフェンス越しから下のアスファルトを見下ろし、落ちたいって気持ちや・・・図工の時間、小刀を使ってた時に、ふいに自分の頚動脈を見つめてしまう気持ちや・・・。何をするのにも死を見ていた。泣いても泣いても変わらないまま・・・ついに親話す。
「私・・・もう学校行きたくない」
家族6人で夕飯を食べていた時の事だった。母がデザートとして、リンゴの皮むきをしてたのだ。その果物ナイフの光に反応して涙が出てきたのだった。全て話した。何、されてるのか、誰にされてるのか。現に、その虐めが原因で今も消えない傷跡があるくらいだから・・・。父も母もおじいちゃんもお兄ちゃんも弟もビックリしていた。
その夜、おじいちゃんが・・・
『愛ちゃん、今日おじいちゃんトコ来なさい』
と、言ったのだ。何でだろうって思いながら、おじいちゃんの部屋に行くと、
『一人で眠るのは苦しいだろう? おじいちゃんトコでお眠り。』
「お・・・おじいちゃあん!!」
さっきも泣いたのに、また涙が溢れていた。苦しくって、耐えていた自分が・・・やっと家族だけでも分かってくれたって気持ちになって・・・。
そして、おじいちゃんが語った。おじいちゃんも私と同じ頃、学校で虐めに遭ったと言うのだ。しかも、辛い想い出や、色んな事を昔話のように私に聞き聞かせてくれた。
それから、母が先生に言いに行ってくれた。その日は私は学校を休まされたけど・・・。でも、先生は、学校全体での問題にされたくないらしく、言い訳をしていたそうだ。
でも、いくら何でも、いつまでもずっと登校拒否はいけないと思って・・・学校へ無理して行く日もあった。
『中学に行けば、他の友達が出来るから・・・我慢しなさい』
と、祖父の言葉を受け、頑張っていた矢先、その祖父が他界した・・・。卒業式まで、あと1ヶ月とちょっとって言うトコだったのに・・・。私は、全身の力が消えた気がした。おじいちゃんが支えてくれたから、頑張っていけたのに・・・ってお通夜も、告別式の時も涙が止まらなかった。火葬された祖父の姿を見て・・・信じたくない気持ちでイッパイだった。何よりも誰よりも大好きだった祖父の死が信じられなかった。。
祖父の死から4日後の2月6日。学校で1.5kmの持久走大会があった。私は最初出たくなかった。だって、まだ体が本調子じゃないのに、でも・・・祖父の為にも出ることを決意した。
ピストルの音が鳴り響き、6年生の女子が一同に走り始めた。私は、後ろの方にいた。走りながら色んな思いが蘇って行った。。今、私は何で生きてるんだろう・・・?そればかり・・・。何度も辛い部分も乗り越えて・・・一番じゃないけど・・・37人中33番でゴールをした。ゴールに着いた途端、涙が出てきた。急いで、水道場所へ行く。
顔を洗いながら・・・
「私・・・頑張れるんだ。生きてるんだ。おじいちゃんの為にも死んだりなんかしちゃ、いけないんだ」と、分かったのだ。
それから卒業式まで、虐めは変わらなかったけど、無事に卒業を果たした。
コメント